ロンドンの街中でスコットランドヤードでおなじみのポリスを募集している

面白い場所

イギリスのドラマでよく出てくる、通称スコットランドヤード。これは、正式にはロンドン警視庁( Metropolitan Police Service, MPS)のことです。

イギリスの警察組織の一つで、首都ロンドン一円(中心部のシティを除くグレーター・ロンドン全域)を管轄する首都警察であると同時に、国家全体の警備公安警察や王族・政府要人警護といった特別な任務も担っているそうです。

日本でいうならば、警視庁でしょうか。それで、日本語ではロンドン警視庁となっているわけです。

本部がウェストミンスター区のニュー・スコットランドヤードに所在していることから、スコットランドヤードの通称で広く親しまれているのです。

なんとこのMPSの募集をウェンブリースタジアムの近くでおこなっていました。(下の写真です)

なぜポリスを野外で募集するか

日本ではあまりこういう光景は見かけません。そもそもこんなところでなぜ警察官を募集するのでしょうか?

ロンドンにいる外国人はとても多くなっています。おそらくアメリカよりも多いのではないでしょうか。そのいろいろな外国人のためになる警察が必要とされているようです。募集を行なっていたウェンブリーあたりには特にインド系やアフリカ系の人が多いようです。

そのようないろいろな外国人の特質や言語を知っているスタッフが必要なのでしょう。ちなみに日本人の警察官は見かけたことがありません。日本人もいいと思いますので、我こそはと思われる方は、どうぞ立ち寄ってみてください。

ロンドンの警察の組織

大雑把にロンドンには、3万人以上の正規警察官、1万人以上の事務職員、4千人ほどの補助警察官を含む、合計5万人ほどの常勤職員がいます。

これらの人員規模から、日本語名であるロンドン警視庁はイギリス国内で最大規模の警察組織であり、世界最大の警察組織の一つでもあるといえるでしょう。

馬を使ってパトロールしますよ。

馬でパトロール

では、なぜスコットランドヤードと呼ばれるようになったのでしょうか?

スコットランドヤードの由来

ロンドン警視庁は、1829年に議会で制定された、首都警察法に基づいて創設されました。当時、ロンドン警視庁は、本部の初代庁舎はホワイトホール・プレイス4番地に所在していました。

しかし警察署への一般の入り口は庁舎の裏口にあり、そこがグレート・スコットランドヤードという通りに面していたことで、人々は愛称としてこの通り名を用いるようになり、ロンドン警視庁をスコットランドヤードと呼ぶようになったのです。

これは、「ウォール街」の名がニューヨークの金融街を表すようになったことと同じです。

でも、なんでここロンドンの通りにスコットランドがあるのでしょうか?

それは、その昔、そこにスコットランドの王や女王が居住していたからだそうです。

ロンドン警視庁は2代目の庁舎として1890年グレート・スコットランドヤードから、ヴィクトリア・エンバンクメント通りに面する場所に引っ越しています。

新庁舎に対しては、新しい愛称としてそれまで使ってきたものにニューを付けて、「ニュー・スコットランドヤード」と呼ぶようになりました。

2016年11月、ロンドン警視庁は4代目となる新しい本部庁舎に移転しましたが、引き続き「ニュー・スコットランドヤード」の愛称で呼ばれることになりました。

現在のスコットランドヤードが入る建物は、インド人の億万長者でルル・グループ・インターナショナルの社長であるユスフ・アリが所有しているそうです。

イギリスの警察の愛称

ロンドン警視庁については以上ですが、警察官にも愛称はあるのでしょうか?

はい、あります。ポリスの愛称はボビー(bobby)でした。(過去形にしたのは、100年前のことであり、現在はこの愛称では呼ばないそうですよ。)

ボビー(bobby)という愛称は最初にロンドン警視庁を設置したロバート・ピール内相にちなんだものです。Bobbyはロバートの愛称ですね。

彼が作った新しい警察組織はそれまでの警察組織より優れており、たいへん評判が良かっそうです。

それで彼の愛称ボビー(bobby)に因んでイギリスの警察官はそのように呼ばれるようになったそうです。

因みに日本の初代警察庁長官は川路 利良という人です。イギリス式であれば、「トシちゃん」という愛称で警察官を呼ぶとしたら、親しみがわいてくるのではないかな?と思いますが・・・

イギリスの警察組織の歴史

18世紀における警察組織の誕生

イギリスでは、昔から自分の地域は自分たちで守るという自治意識が高く、組織的に行う警察機構には反発が強かったそうです。

しかし18世紀以降の工業化に伴う都市化に伴い、従来のコミュニティーに依存してきた自治的な警察機構では、複雑化する犯罪への対処が難しくなってきました。

特に、大都市となっていたロンドンではその傾向が顕著でした。

このことから、ロンドンのボウ・ストリート(英語: Bow Street)に置かれた治安判事法廷の判事ヘンリー・フィールディングは、従来の無給・素人の巡査のかわりに、適切な給与・教育を施したプロフェッショナルとしての巡査の必要を認め、1749年、教区内の巡査から6名を選任してボウ・ストリート巡察隊(英語: Bow Street Runners)を組織しました。

この隊は極めて能率的に活動し、地区の犯罪を大幅に減少させたことから、全国的に有名になり、現在では英国の近代警察の創始となっています。

政府もその有効性を認め、1797年には大尉を指揮官とする68名のボウストリート徒歩警邏隊、1798年にはテムズ川警邏のための水上警察(River Thames Marine Police Force)を設置しています。

水上警察の設置に貢献したコルコーン治安判事は、更に進めて、単一の首都警察隊の設置を提唱したが、同時期のナポレオン・ボナパルトのフランス第一帝政における秘密警察体制が連想されたためもあって反発が強く、実現しませんでした。

19世紀の警察組織の創設

しかし19世紀に入ると、英仏戦争終了に伴う戦後の停滞や労働紛争の激化を受けて、急進派戦争 (Radical War) に代表されるような騒擾・騒乱事件が多発するようになりました。

大部分の巡査には暴動鎮圧を行うだけの能力はなく、治安判事は、暴動を放置するか、軍の治安出動による多数の犠牲者を容認するかという、深刻な二者択一を迫られることになり、新たな治安対策が急務となってきました。

この情勢を受けて、1822年に内務大臣に就任したロバート・ピール首都警察の創設を提唱し、一度は挫折したものの、説得工作を進めるとともに法案自体も漸進的に改訂し、1829年7月、ついに首都警察法(英語版)が成立した。これによって設置されたのがロンドン警視庁です。

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