大英博物館で歴史を調べる。古代メソポタミアのウルは繁栄した都市だった

歴史

大英博物館は、世界のいたるところからの遺品が展示されています。ここで、世界の歴史を調べてみるのはとても面白いですね。

今回は世界四大文明の一つ、しかも一番古い文明である、メソポタミアに注目してみました。

特に目を引いたのは、下の写真の装飾品です。ウルというところで発掘されています。いつの時代も女性は自分を美しく着飾るのが好きなのです。

ウルの発掘品、金の装飾品など。左下の黒い四角の部分は、つぶれた頭蓋骨と装飾品です。

この都市には、金を用いた装飾品のほかに、城壁、水道など4000年以上前とは思われないものが発掘されました。

ウルはどこにあるか

古代のウルはシュメールの重要な都市国家でした。前2600年頃に都市国家として文字史料に記録が残されているそうです。

現在のユーフラテス川南岸にあります。ということは、イラクにあるわけです。ナーシリーヤという町から16キロメートルにウルの遺跡があります。(もちろん行ったことはありません)

ウルが栄えていたのはどんな時代

ウルは前3800年頃のウバイド期に創建され、前2600年頃に都市国家として文字史料に記録されています。初めて文字史料に登場する王はメスアンネパダです。

日本はいかがだったでしょうか?おおむね古墳時代(3世紀中頃から)が日本の先史時代と歴史時代の境をなすとみなすことができるようです。日本に関する記録としては、前1世紀の中国の史書『漢書』「地理志」などにありますが、それ以前の歴史は知る由もありません。

その古い時代にメソポタミアには開けた文明が存在していたのであります。

また、聖書に出てくる、アブラハムもこの時代に存在していた人でした。ウルの地に住んでいたあと、そこを後にするわけです。

博物館のウルの展示物

スタンダードのモザイク

これは何のために作られたのでしょうか?

ウルのスタンダードは、ウルの遺跡から出土したBC2600年ごろの工芸品とされています。発見者の説にしたがって「スタンダード(Standard、旗章、軍旗)」と呼ばれていますが、その実際の用途は明らかになっていません。

スタンダードは、高さ21.6cm、幅49.5cm、奥行4.5cmの横長の箱で、大きな面の一方には戦車と歩兵を従えたウルの王が敵を打ち負かす「戦争の場面」となっており、その反対側の面には山羊や羊、穀物の袋などの貢納品が運ばれ王と家臣が宴会を楽しむ「平和の場面」が描かれています。

戦争の場面

「戦争」の面は王、軍隊、戦車が敵を蹂躙する様を描いている。

このウルのスタンダードは王の墓でバラバラの状態で発見され、後に箱状に復元されました。

「戦争の場面」の下段には、4頭立ての戦車が4両描かれています。

よく見ると、左から右にいくにしたがって前足があがっていますね。これは、戦車が次第に速度を増していく様子を描いているのかもしれません。

中段左には兜をかぶりマントを身に着け手斧をもった8人の兵士、中央には敵を捕らえた兵士、そして右側には負傷した敵兵の姿が描かれています。

上段中央には王が描かれていますが、モザイクが欠損しているためその表情や服装はわかりません。王の左には3人の高官、右には連行されてきた敵兵の姿が描かれています。

平和の場面

「平和」の面は安らぎ、音楽、繁栄が描かれている。

「平和の場面」の上段には、ウルの王と思われる人物(左から3番目)が描かれています。王の腰には羊の川でできた腰巻をまいています。右の方には竪琴を弾く楽師もいます。

中段から下段は牡牛、山羊、羊、魚、穀物をいれた袋などさまざまな地域からの献上品を運んでいる様子を描いています。

この時代のウル国家の強さと豊かさを象徴するものとして描かれたものですね。

金の兜

この金の兜は王立墓地で発見されました。このオブジェは、メスカラムドゥグ王の金色の兜と考えられています。

金の剣

雄羊の像

茂みの中の雄羊

雄羊となっていますが、ヤギとして正確に説明されているようです。

手のように伸びた腕の先にはロゼッタとつぼみのある植物があります。これらの動物と植物はシュメール人にとって重要なものだったようです。彼らの宗教において自然と豊穣を象徴するものだったからです。

まとめ

4千年以上前にこのような都市が存在していたとは、驚きです。その時代の生活様式や金製品、生活用品など、手作業で行なったことを考えると、現代の私たちとなんら変わるところがないように思われます。

現代は多くの知恵の積み重ねで便利な世の中になったと言えます。

人間は本質的には変わっていないのではないのかな?

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